地下足袋山中考 NO7
<イザベラ・バードとグリーンツーリズム>

 明治11年、英国の旅行家であるイザベラ・バードが「日本奥地紀行」の中で、山形県の内陸盆地風景を「東洋のアルカデア(理想郷)」とまで絶賛している。現在の南陽市、山形市に至る盆地だが、この地方ではイザベラ・バードが残したその言葉でもって、今も村おこしをしている▲イザベラが絶賛した風景は、日本人の特質である有りのままの自然景観を愛でたものではなかった。只の自然は生産性が低く価値のないものと考える西欧人にとって、整然と人手が加わった田んぼや水郷、集落を取巻く屋敷林、山肌の果樹林や畑作風景の中で、争いもなく穏やかに笑みを浮かべて暮らす人々の生活は、日本の里山風景の域を超えた理想郷に映ったのだろう。▲この原風景は昭和40年代に入り急速に変貌していく。山懐まで耕された畑、家畜用の野場や草刈場に萱刈場は、農作業が牛馬から耕運機械に転換した時点で杉植林地に急変した。植林が奨励され、林道網の整備が進み、かつての馬道払いや山道払いの共同作業は林道の刈払い作業に変わった。▲水田風景と生態系はもっと劇的に変わった。圃場整備により棚田は平面化され、水辺環境は揚水機に変わった為、1年中水の張った用水池は消滅し、網目のように張り巡らされた堰は干上がることになる。農薬の普及がサワガニ、ドジョウ、タニシ、ヤゴなど多様な水生生物を死滅に追いやり、湧き上がるホタルやアカトンボの乱舞は遠い昔の風物詩となった。▲稲作の伝来が約3,000年前、私たちの先祖は生産性が低かった湿地帯に堰を巡らし、耕し、水を張り、コメを植え続け水田公園を完成させた。裏山には山道を巡らし畑地とし、ソバ、ヒエ、ナタネ、クリ、トチの収穫場所とした。その結果、本来自然がもたらす恵みよりも、はるかに多くの産物を生出す濃密な生態系を創り上げてきた。人間が手を入れた結果、自然が心地よく応え出来上がった里山の生活空間を私たち日本人は風土と呼んでいる。イザベラが出会った理想郷はその只中にあったのだ。▲グリーンツーリズムの原風景は、この風土を訪ねる体験の旅である。それは、奥阿仁や根子集落がマタギ特区だとすれば、合川地区の三木田、摩当、鎌沢集落は典型的な里山特区と言えよう。小阿仁川が蛇行する水郷集落を舞台に、春は雑木林の芽吹きと春紅葉、耕運、代かき、田植、山菜取り、野菜苗の植付け、ホダ木の菌打ち、夏の万灯火とカジカ取り、ボート遊びに魚釣り、秋はアケビやキノコ採り、大仏殿での座禅修行、全ての体験が集落の中で完結できる。勿論、有料インストラクターも必要だ。▲宿泊行動拠点は民泊とアジサイ公園のマトビ学園だ。農家民泊は1人8,500(うち農業体験料2,000円含む)23人の小中学生を年数回は受入れたい。初日の農家民宿は母ちゃんの田舎料理をほおばり座敷で雑魚寝。2日目は山や川遊びに森吉山観光を入れ、夜はナトビ学園で一泊交流会。県内各地の観光地に1〜2時間でアクセスできるアジサイ公園とマトビ学園に一泊宿泊施設として新たな使命を付加する時が来た。▲2010年からコメの戸別所得補償が始まった。生産調整(減反)を条件に国が生産費の赤字分を補てんする。なぜ税金でコメ農家を助けるのか。政治的な思惑は抜きにして、農業は他の産業と異なり、洪水の防止や景観維持など食料供給以外の公益機能があるほか、国際的な食糧価格の上昇や飢餓人口の増加を踏まえ先進国で最低水準にある食料自給率を引き上げることが目的だという。▲公益機能発揮だとすれば、欧州各国ではアルプスの牧歌的風景を維持するための定住補償が始まって久しいと聞く。観光産業を主力とするアルプスのの国々では、広大なアルムの草原(花畑)チーズ小屋、水車小屋を維持するため庭師(生活者)を置いてでも歴史的景観資源を守ることに国民合意が出来あがっているという証だろう。戸別所得補償が瑞穂の国、日本の原風景を守る後継者(庭師)づくりの試金石になるか見守りたい。<マトビ学園:山村留学施設として旧合川町が開設し10数年運営してきたが平成22年度で廃止が予定されている>(2010.6.28)